喫茶店とワタシの間に① ~オアシスを失うまで~
行きつけの喫茶店が、今月末でなくなるという。
静かに、深くショックを受けている。
あと二週間しかない。
いや、これがたとえあと半年、あと一年であったとしても、
リミットを突き付けられること自体が、
喫茶店とその常連客という関係性において何かとてつもなく、
現実的でない出来事のように感じられるものではないのか。
・・と、わたしは思ってしまう。
それくらいに、がっくしなのだ。
家から自転車で10分。しかし25分かけて歩くことのほうが多い。
昭和の雰囲気ただよう昔ながらのその喫茶は、二年ほど前からわたしの日常の一部となった。
生まれて初めて、わたしはわたしの思う「喫茶店の常連客」にさせてもらったように思う。
この言葉を女である自分に使うというのは可笑しいのだけれど、
サヨナラに対してわたしはとても女々しい。
「戻れないもの」に手を伸ばそうとしては、
いつまでも想い出に浸りこんでしまうところがある。
お別れを心の中で整理するには、たいそうな時間が必要なのだ。
あと何度、近所の野良猫にアクビをされるのか知れない。
あぁ
できることなら、別れを惜しむ時間を大事にとりたい。
喫茶店一つに大袈裟だと思われるだろうか。
ひょっとするとわたしはこのことに、
たとえば先日、家庭内暴力と向精神薬の害で悩まれている方の話や、
進行した緑内障による両眼失明を覚悟せねば、という方の話を聴いていたときと
同じくらいの熱量で心を動かしているのではなかろうか、と、
思ってしまうくらいには、
ほんとうに大事にしたいのだ。
大事に、とは、
はて、一体どうしたらいいのだろう。
そう考えて思い立った。
店との出逢いに感謝の気持ちをこめ、売れないエッセイストにでもなったつもりで、
あの喫茶店とわたしの間に生まれた、
ささやかな物語りを”続きモノ”にして綴ってみようか、と。
できることなら、残された少ない時間にあの店のテーブルで。
お気に入りの喫茶店を失う、というのは、
砂漠の中ようやく見つけたオアシスを失うようなものだ。
はぁ。
来月からわたしはまた、
ラクダにまたがってこの街を、のろのろと彷徨うんだよ。