空よ

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12の頃、
もっとも安全な場所にいた傍観者から、
ある日、転じて独りきりになり、
毎日子どもじみた矢を投げつけられる身となった
あの頃、
授業をさぼって、屋上で大空に包まれ、
わたしは真昼の月と友達になった。

 

わたしの世界はまだとても小さくて、
だから、
人生でもっとも、真剣に、
みなが対等になって手を繋ぐことについて
考えて、考えて、考えていた。

恐れて泣いて「仲間にいれて」とお願する子たちがいた。
絶対そんなことはするものか、と思っていた。
結局、
「仲間にいれてもらった子」がわたしに矢をなげる係りになるのだ。
苛立って、苛立って仕方なかった。
”そこまでして群れたいのか?”、と、侮蔑の目で言い放った時のことを
哀しいほどに、よく覚えている。

でも、ほんとうは分かっていたから、
ひとり下校するとき、
悔しいのに、涙がいつも、そんなの絶対嫌なのに、
必死に上を向いたって、歌ったって、 零れるばかりだった。
好きなのだ。
みんな、ひとりひとりが、
どうしたって好きだった。分かってたんだ。
好き合いたかった。

「淋しいよ」って言えなかった。
「淋しいよ」って言いたかった。
たったその一言を、言ってしまったら何かが壊れてしまう気がして、
自分を守るために、
学級の生徒たちといる空間で、みんなを見下す癖がついていった。
先生も、学校という社会も。
あの頃は、世界がとても小さかった。

それでもまた、
大空に包まれると優しくなれた。
自分の歪みを、お月さまに問いかけたりした。
人の上にいたくないし、下に入りたくもない。
なのにどうしてか、心が歪むのだ。
いつも、早く大人になりたいと願ってた。

 

青空を見上げているとよく、12の頃を想いだす。
かわいい子ども時代だったと、自分のことながら微笑ましい。

性分の基盤は、あの頃すでに成熟していたのだと思う。
それでも若さゆえに、
その後わたしの驕りはますます高ぶり、
あの頃屋上で抱えたものと同じ味のする悩みを、自ら更に膨らませていった。

20代半ばを過ぎても、
帰り道の空の下、月を見上げて泣いていた。
静かに、ただ、涙が止まらないのだ。
わたしにとってそこは
いつも何もかもを知っていて、
いつでもすべてを、赦してくれる相手だった。

 

そうして今、
空を見つめ泣くことは滅多にない。
それでも、そこは少しも変わることなく優しい。
どこまでも、
赦し尽くしてくれている。今も、明日も。

空よ、
あなたを見上げるわたしたちのことを、
どうかこれからも、忘れないでいておくれ。

2016-11-12 | Posted in ブログ, 日毎フォトNo Comments » 

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